【2016年9月17日(土)】
人間は1日に6万回もの思考を繰り返しているそうなのである。
えっ、数えた人がいるんすか、なんて愚問はやめていただきたい。それくらい多くの回数を思考に費やしていることの例えだと聞いてほしいんすよ、ブラザー。
で、けふの6万回の思考の内に、ボクの中に閃いたのは、この3つのことだったんすよ。
ひとつは、小林秀雄の文章は、やっぱり極め付きの悪文で、日本語をダメにしたのはこのおっさんだろ、っていう思い。
そんなことをいうと、このジャポンの論壇では吉外扱いで、小林秀雄否定はタブーになっている気配があるのだが たぶん、世界では、小林は通用せんと思うんすよ。
世界の中の田舎=ジャポンの中の裸の王様。
狭い特殊な世界の中で勘違いで評価されたいびつな骨董品のような印象なり。後生大事に保存されたそんな畸形の骨董品を押し付けられる(読まされる)身にもなって欲しいものである。
最近の大学受験の国語の読解問題にも、いまだにこのおっさんの悪文が使われているのだろうか?
そげな小林秀雄をありがたがって、一体どうする気なのだ、ヤーパンたちよ。
そして、もうひとつは、児童文学者としての梶原一騎は、この角度から、もっともっと評価されてもいいのではないかという思い。
併せて、川崎のぼるのこの作品も、児童文学として秀逸なのではないかという思いである。