横山光輝の描線変化と〝劇画インベイジョン〟。そして、影丸譲也のこと。

 ふむう、そうか、こんな絵を見せられると、改めて横山光輝の描線からも〝劇画インベイジョン〟の進行振りを見て取ることが出来るのだ。

 072.gif暗殺道場 (1969)
 
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 072.gif 死神主水 (1972)
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 絵描きである横山も、食わんがために絵柄を変えて時代の流れについて行かざるを得なかったのだろう。
 しかし、描線の劇画化は、石ノ森章太郎ほど成功はしなかったように思われる。
 最後は、ストーリーテラーとしての才が、このリノベーションの不完全を救ったのである。

 それでもボクが好きなのは、やっぱり少年マンガの頂点である横山のこの流線なのだが。

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 それにしても、横山がこの流線で持ちこたえられたのは、1967年までではないだろうか。

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 1968年の「地球ナンバーV-7」では、その流線に変更を余儀なくされ、線にザラついた荒さを要求されているのである。
 その頃、小5だったボクの実感からしても、もう少年たちは、かつての手塚治虫や横山の丸っこい描線には飽き足らなくなっていたのは確かなのだ。

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 1968年の「月刊少年」の劇画化傾向は、その象徴ではないだろうか。
 2月号には、大阪の貸本マンガ出身の劇画家である影丸譲也の「大城塞」が、「影丸譲也劇場②」として載っているのは、破格の扱いなのである。
 どうやら読みきり連載物企画らしく、続く3月号では、「鉄砲弥太」という作品が載っている。
 また、このマンガ誌には、先行して、同じく大阪の貸本マンガ出身の劇画家であるさいとう・たかをの「ザ・シャドウマン」も連載されていたのだった。

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 余談だが、この2月号のふろくには、「はだしのゲン」の中沢啓一の「超艦不死身」という作品が付けられていることを発見した。

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 主人公の眼の焦点がまるで合っていないが、この作画で大丈夫なのか!?
 とはいえ、48年前の作品であり、作者の中沢啓治ももはやこの世の人ではないので、彼の作画家としてのこの汚点は、もはやぬぐいようもないのだが。

 ちなみに、巻戻るが、「月刊少年」の1968年新年号の「影丸譲也劇場①」は、「堂々開始!!少年誌ではじめての80ページ大連載時代劇画!!」と銘打った「死鍛冶」という作品なのだ。

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 おお、あらためてよく見ると、「月刊少年」1968年3月号の4大ふろくの1冊には、これまた大阪の貸本マンガ出身の劇画家である佐藤まさあきの作品がフィーチャーされているではないか!!

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 この劇画ストリームの渦中で、劇画化傾向にあった「月刊少年」末期の連載陣の中に、横山光輝の「グランプリ野郎」も飲み込まれて行ったのである。

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by misaochan3x6 | 2016-06-26 23:55 | まんが道(みち) | Comments(0)


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