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三陸・陸前高田と岩手湯本温泉ツアー参加記(2)─②

【2011年4月29日(金)】ボランティアセンター~ボランティア活動編

 実は、このボランティアツアーは、日本K産党の完全バック・アップがあっての成立だったってことがわかったのよん、現地に行ってみてからね。
 っていうのは、現地のボランティアに配られた丸い布製のステッカーに、日本K産党の名前が入っていたからね。
 だからって、このツアーのお里が知れてガッカリしたってわけでなないのだけれどもね。うふふ。

 というわけで、陸前高田市に入ってからは、まずボランティアセンターに向かい、ここで現地の日本K産党市議のオリエンを受けた後、ここで待機されていた日本K産党かそのシンパではないかと思われる市民の方の17台の車に分乗して、各自がボランティア活動に向かったのだった。
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三陸・陸前高田と岩手湯本温泉ツアー参加記(2)─②_a0141884_1619287.jpg ボクはといえば、この企画の呼びかけ人であるH田(80歳)さんから、現地では、下着や靴下の希望があるって聞いていたので、息子の彼女がボクにプレゼントしてくれた靴下の中のいくつかと、お世話になっているN尾さんから譲り受けたフィンランド製の〝もこもこ〟靴下20足(写真)を寄贈したのだった。

 上代2,800円の品。(総額56,000円相当だよん)







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 そんでもって、今回の当地でのボランティア活動の内容は、以下の2つなり。

072.gif(1)被災者に対する「住宅支援制度」の活用を促す日本K産党の作ったパンフレットを被災社宅に配付しながら、被災者の話を聞くというボランティア活動

072.gif(2)牡蠣の養殖をしていたという猟師さんの流されたしまった魚網の回収というボランティア活動

 ボクは、(2)に参加したんだよね。本人の希望ではなく、神の差配によって(ウソ)。
 たぶん、呼びかけ人のH田さんの差配によると思われる。
 で、結局、この活動に参加したのは、市民の方の17台の車に分乗した参加者の中の2台に乗った約10人に相当するんよ。
 じゃ、写真アーカイヴ。(ちいちゃい写真から大きい写真へGO!!)

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 えーっと、どういうことかっていうと、地元の牡蠣養殖の猟師さんの牡蠣の棚が津波にやられ、そこで使っていた魚網が流されて、ガードレールにからまってどうにもならない塊をを、われわれボランティアで魚網をガードレールからえいやって剥がしてから、1本1本ほぐして使い物になるよう、まっすぐに伸ばして行くっていうお手伝いなのだ。
 どうやら、この漁師さんは、気の遠くなるようなこの作業を、震災後奥さんと2人きりでこつこつ続けて来られたようなのだ。

 作業時間は1時間くらいだったかな。
 ボクらの作業が、実際にはどれほど役に立ったのかはわからない。
 人生一期一会といえばそれまでだ。
 いや、そもそも、このボランティアをそんなに大げさに考える必要はなくて、むしろ、現地のボランティア受け入れ側の人は、一期一会くらいにしか思っていないのかもしれないな。
 であれば、こちらもその方が仕事をしやすいってもんではあるのだが。
 さて、実態はどうであるかは不明なり。

 そして、作業を終えて、再びボランティアセンターに戻るために別れを告げることになった最後に、奥さんが 「また頑張って牡蠣の養殖を再開させますよ」といわれた時には、このボランティア活動参加で勇気をもらったのは、ボクの方だっていうオチになったんだわさ。ぎゃふん!!

 奥さんのたたずまいがまるっきり自然体で本気だったので、いつか再開したらここの牡蠣を食べに来る時、連絡先を聞いておかなければ困るなと思い、旦那さんの名刺をもらうと、陸前高田民主商工会会長のS藤さんだったのだ。
 合掌。

 PS.この現場は、先述したとおり、海が近いにもかかわらず潮の匂いがせず、道端を車が通り過ぎると砂埃が舞い上がり、それが目に入って大いに閉口したものだった。
 このことも、この地に来なければわからなかったことのひとつなのだ。
by misaochan3x6 | 2011-05-09 07:03 | トラベローグ


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