(日本昔話風に・・・)それは、1969年のことじゃった。
その頃、ボクは小6で、学校が終わると、当時仲のよかった伊原至くんとはよく一緒に家に帰ったものなのさ。
彼の家は、地元で漬物会社を経営していて、彼は社長の息子だったんよ。
つまりはお金持ちのお坊ちゃまだったので、彼は、毎週「週刊少年マガジン」を買ってもらえる身分だったのであ~る。
さて、時代的にいうと、この頃、同誌はまさに黄金時代の真っ只中にあり、子供心にもそのことは感じていて、当時の編集長である内田勝の劇画路線導入ともあいまって、大学生の愛読雑誌ともなりかけていた頃なのよん。
というわけで、その頃の「週刊少年マガジン」は、小学生にとって次第に難解なマンガ雑誌になりかけてはいたものの、先進的なマンガ・マニアであるボクや伊原くんには、別にど~ってことない変革だったのだ。
ま、お互いに〝マンガIQ〟は相当に高かったのである。ルルルルル~♪
で、その1969年のある日、学校帰りの伊原くんがボクに貸してくれた「週刊少年マガジン」に、永井豪の「鬼」という読切のSF作品が載っていたのだが、この作品の絵柄が、まるっきり
園田光慶のパクリで、小6のボクは、
「エ~~~~ッ!!どうして~~~~~ッ!!」って思ったわけなのである。
そうして、1969年以来、今日まで、そのギモンをず~~~~っと抱きながら生きて来たっていうわけなんだわさ。
ところが、先日、ネットを徘徊したいたら、そのギモンが41年ぶりに、突然に氷解したのである。
結論からいうと、作者は、永井豪のダイナミック・プロでアシスタントをしていた西郷虹星だとiいうわけなんである。
いや、ネット上では、園田光慶のアシというスレッドも散見出来るのだが。
ま、いずれにしても、
あ、そうなの!! というわけなのさ。
この作者の名前は、「
ぼくらマガジン」の〝ハルク〟の作画家として、なんとなく知っていたのではあるけでどね。
いや~、生きてみるものである。
他人にとって41年は長過ぎる時間だろうが、当事者にとっては、自ら連続した時間の中の41年間なので、本人的には、「ついこの間のこと」に過ぎない。
宇宙の成り立つ時間からしても、鼻くそみたいなものなのさ。
さ~てと、自分のために、西郷虹星についてかき集めたスレッドをアーカイヴしておこうかのう。
http://mandanatsusin.cocolog-nifty.com/blog/2005/09/post_11e4.html
http://ameblo.jp/unknown2009/entry-10237847262.html
http://ameblo.jp/unknown2009/entry-10238359990.html
http://toppycappy.cocolog-nifty.com/muukun/2009/03/70-b3e1.html
http://www.mandarake.co.jp/information/2010/04/09/21gcs11/index.html
http://ohmomo.tumblr.com/post/172708725/tobyluigi-error888-unknown
http://error888.tumblr.com/post/416215826
<最重要スレ▼>
http://mandanatsusin.cocolog-nifty.com/blog/2009/03/post-505b.html