【2016年5月14日(土)】
2月に息子一家と郷里に帰省した時に、父親の認知症によってさらに加速した実家の〝ゴミ屋敷化〟の有様を目の当たりにしていたので、物を持っていることの意味について、大きく揺さぶりをかけられたのだった。
Xデーの近い父親のこともさることながら、年齢的に考えると、いまや、確実に死期に向かって進んでいるこのわが身に翻(ひるがえ)って決めたのは、
「まずは、自分の身の回りのほとんどのスペースを占拠している本と雑誌をほとんど処分してしまおう!!」
ということだったんだ。
1977年、大学入学を機に上京し、千葉市~三鷹市~明大前(世田谷区)~仙川(世田谷区)~文京区(ここまで独身)と引越しを繰り返し、1985年に結婚してからも、文京区~板橋区~杉並区と引越しを繰り返す。
この間、現在まで、39年。
さまざまな本や雑誌を新刊で買い、さまざまな本や雑誌を古本を買って来たのだった。
どんな本が好きなんですか?とよく聞かれるのだが、そんな時はひどく困るのだ。
上京して約40年間、見た瞬間に面白いと思った本や雑誌を、小説といわず、エッセイといわず古本を中心にほとんど手当たり次第に買い漁って来たので、説明のしようがない。
自分のことをきちんと説明できないのと同じくらい、それは困る質問なのである。
さて、この日、朝7時に起きると、ボクが買った本と雑誌(どちらも、古本が中心だ)で、処分を決めたものを、ブック・オフの買い取りセンターのトラックが自宅前に到着する午後1時半までの間、延々と6時間以上、新聞紙の回収紙袋に詰め込む作業を繰り返したのだ。
空っぽになったカラーボックスは、全部で7個だった。
あいにく、この日、横浜方面から電話で呼んで来てもらったブック・オフの買い取りセンターのトラックは、この日、他にも訪問先を抱えていたとの理由で、荷台のキャパに限界があり、新聞紙の回収紙袋に詰め込んだボクの本や雑誌は、ドライバーが持参した段ボール箱に詰め替えて24箱になったのだが、結局、その分だけを持ち帰ってもらったのだった。
そして、残された新聞紙の回収紙袋に詰め込んだ本や雑誌は、結局、10袋で、それは、あとで奥さんに運転してもらい、彼女の車で、自宅から一番近い店舗に持ち込んで買い取ってもらうことにしたのであ~る。
こうして、コンビニ本として再発されたマンガで、狂ったように集めて全巻を揃えた「御用牙」、「I・飢男」、「サハラ」、「長男の時代」、「修羅の刻」、「バビル2世」、「サイボーグ009」、「伊賀の影丸」、「斬殺者」、「明楽と孫蔵」、「ボディーガード牙」は消えた。
古本の単行本で全巻を揃えたマンガ、「デビル・キング」、「サイレント・ワールド」、「あしたのジョー」、「空手バカ一代」、「ジャパッシュ」、「番長惑星」、「キカイダー」、「原始少年リュウ」」も消えた。
同じく古本でこつこつと集めた野坂昭如の単行本の数々も消えたのだった。
あれだけ集めた横山光輝も、結局、手元に残したのは、「地球ナンバーV-7」1冊だけだ。
つげ義春も、残すべきものだけを残すと、やっぱり、ボクはこの本だけがあれば十分、かつ、満たされた気分になるというラインナップに落ち着くのだった。
そして、手塚治虫は、大好きなこの作品がいつも視野に入るように絞り込んだのだ。
期せずして単行本は、全部、大都社なのだ。いい仕事をするな~、大都社。波があるけど。(笑)
そして、ボクに残った作家はといえば、野坂昭如(文庫作品)、壇一雄、高橋和己、吉行淳之介、永井荷風、石川啄木、林芙美子、開高健、水上勉、梶原一騎、評論家では、吉本隆明、柄谷行人といったあたりなのである。
また、マンガ家は、貝塚ひろし(「ゼロ戦レッド」)と、荘司としお(「夕焼け番長」)、石井いさみな(ケンカの聖書)、本宮ひろし(「群竜伝」)といった塩梅なのだった。
【番外編】
ところで、気に入った本は何冊も持っていたくなるものだと思うんですが、どうすか、ブラザー。
光る風/山上たつひこ
僕に踏まれた町と僕が踏まれた町/中島らも
初版である単行本はPHP版で、帯あり、帯なし、カバーなし。文庫は、集英社文庫版と朝日文藝文庫版なのだ。
どんだけ好きなんだ!!
と問われれば、結果的にこの本を5冊を所持することになるほど、この作家とこの作品、そして、彼が育った神戸というまちのことが好きなんだ!!と答えるしかないな~。
今回、中島らものこれ以外の小説やエッセイは、「ガラダの豚」以外、ほとんどを単行本や文庫で読み、そして、手放したのだが、この本だけはわが身から離したくはないのである。
それほどボクは、彼とこの作品を深く愛してやまないのである。
カメラはスポーツだ/浅井慎平
初版の単行本は、表紙が山口はるみで、本文のイラストが安西水丸という、いまにして思えば、ある種〝珍本〟。
版元が女性雑誌の出版社なので(主婦と生活社)、訴求がよくわからない編集なんだが、しかし、巻末に近いセルフ・ポートレイトは超カッコいい!!これは、「買い」なのだ。
きっとこの頃、この写真を見た誰もがフォトグラファーに憧れたに違いない。それが証拠に、1977年4月15日の初版のこの本は、ボクが持っている版では、1977年5月5日で、すでに16版!!となっちるのであーる!!
この時、浅井慎平39歳。若いんだか、年寄りなんだか。
さて一方、文庫本は、帯ありと帯なしで角川文庫。カラー写真、モノクロ写真とも豊富で、コマーシャルフォト全盛期の時代の空気感がビンビン伝わって来るのだ。
やっぱり、絶頂期の浅井慎平はウマいな~。篠山紀信や立木義浩よりも、相当にグルーヴ感に溢れた写真家である。この本を見た時だけ、写真というジャンルの可能性を、また信じたくなるんだ。
リチャード・ブローディガンのモノクロ写真がすごくいいぞ!!
たらこ筋肉/渡辺和博
ケーハク極まりない70年代中後半~80年代初頭のギョーカイ(放送・出版・広告)と、時代のその空気を上っ面で吸い込んでしたり顔をするパンピー(一般ピープル)を語らせたら、ナベゾ(渡辺和博/1950年2月26日~2007年2月6日。享年、57歳。イラストレーター・漫画家・エッセイスト)の右に出る観察者はいない。
誰かがいい当てたんだけど、南伸坊だったっけか、〝大人のくせに小学生のような観察眼の〟 広島県出身のこの男の名言でボクがいまでも覚えているのは、この定義なのだ。
「人間は汁である」
すげーよ、ナベゾ。生きていたら、66歳なんだな。合掌。
東京アンダーワールド/ロバ-ト・ホワイティング
文庫本と単行本とセットで保持。
所詮、日本というこの国は、大東亜戦争敗戦後は、亜米利加合衆国の属国であることは間違いなく、六本木を中心とした占領的な戦後史描写として秀逸。
この国の戦後経済は、ブラック・マーケット(闇市)から始まった。政治的な理念や自己批判からのスタートではなく、弱肉強食の経済原理から発した欲望の行動原理からの再出発である。
したがって、この本は、外来者の目を通して、戦後日本が、理性や批評性を欠いた社会として再生したことをクールに教えてくれるのだ。
占領民側のジャーナリストにしては、突き放して批評的で極めてドライな切り口で記述されていて、信用に足るレポートとなっている。
ぜひご一読を。
もう、これからは、出来れば本はこれ以上手元には置かないで生きて行こうと思うんだ。