なぜボクはカバーを歌うのか。

【2012年6月10日(日)】

a0141884_11451199.jpg 花の美しさというものはない。

 むかし読んだ小林秀雄の文章にこんな一節があったように思うが、その意味がさっぱりわからず、何をゆうとるんだこのおっさんは!!と思ったもんである。



 そして、いまもってこの意味がわからないのだ。

 いまはどうだか知らないが、ボクが大学受験した30数年前は、国語の読解問題には、必ずといっていいほど小林の文章が出題されて、受験生どもを大いに苦しめたものなのだ。 

 このクソおやじの文章を〝悪文〟といい切れる人間は、当時、文学界にも教育界にも誰もいなかったのである。
 つまり、小林がわからないような日本人はみなバカであるって空気がこの国全体を支配してたんよ。
 だから、当時の日本人は、みんな小林がわかったような顔をしたがったのさ。
 ホントは何をいっているのかさっぱりわからないのだが、誰もがバカにだけは思われたくなかったので。

 しかし、いまなら堂々といえるよ。
 バカでけっこうなのだ!!小林は悪文な~のだってね。

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 さて、花だが、花はやっぱり美しいんよ。
 特にバラなどはね。

 その花の美しさを、何とか自分のものにしようと、アマチュア写真家などは、何枚も何枚も花の写真をおとりになるけど、結局、写真になって見た花は、自分が見た時の美しさのようには写っていないものなのだ。

 何がいいたかったのかというと、写真表現では、所詮、花は即物的に花でしかないんだわさということなんよ。経験的にいうとね。

 さて、前フリが長過ぎたが、話題を歌に引きつけていえば、ある人が、自分の気に入った歌を歌いたい衝動に駆られてカバーしたとたん、その歌はもうカバーした歌い手のものになってしまうという気がするのです。

 歌の属性とは、もともとそういうものなのではないでせうか。
 なので、歌は、人から人へと歌い継がれていくのだと思います。

 最近ボクは、下手なギターをかき鳴らしながら、この歌を好んで人前で歌うんですが、オリジナルを聴き直してみると、自分で勝手に節回しを変えて歌っていることに気づきます。

 でもそれは、この歌が自分のものに消化したことの証しなのではないでせうか。



 歌を自分のものに出来た喜びが忘れられず、ボクはいろんな歌をカバーするのです。

 さあ、けふは晴れてすご~くいい天気になってので、あとでチャリを車椅子代わりに外出して、頭を坊主にしに床屋に行かなくちゃな!!

 それから生協に行って、ウィスキーのニューボトルも補充せねば。
 そのウィスキーにソーダとつまみを買って、久しぶりに戸外で、〝ひとり酒場〟でもしようかな。
 むひひ。
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by misaochan3x6 | 2012-06-10 11:28 | 音楽とわたくし | Comments(0)


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